連載小説:人類の自由(36)最終回
長らく連載してきました小説『人類の自由』今回で連載終了です。連載中タイトルが何回も変わってご迷惑をおかけしました。
*
月曜、会社に遅刻した。上司からは怒られた。本日付でイシュタルが契約終了になったため、仕事がまわらず大変だったという。イザナミさんの席にはあいかわらず花がさしてあった。イシュタルの席には、別の派遣の女性が来て座っていた。
「こんにちは、イグチくん。今日から一緒に働けるね」
イシュタル以上にきわどい短さのスカートをはいてキーを打っている派遣社員は、ヨセフのセックスフレンド、まりあだった。
「イグチ君、あの後、どこ行っちゃったの? トイレから帰ってきたら、店からいなくなってたし」
僕はまりあの質問に答えず、届いているメールやらネット上のニュースをチェックした。
イザナミさんの席には先週とは違う花がささっている。毎週、僕の嫉妬相手だった野尻が花を交換しているのだ。
「イグチさん、月曜遅刻はきついっすよ」
野尻がコピーした資料の山をかかえてやってきた。
「午後から会議ですからね。ちゃんと読んどいてくださいよ」
野尻は資料の束を僕の机の上に乱暴におき、背中を手で叩いた。
「野尻さ、俺に小説送らなかった?」
「何言ってんすか」
「ふることぶみっていうタイトルのエロ小説、書いてない?」
「忙しいから後にしてください」
野尻は怒った顔をして、コピー機の方に早足で歩いていった。
慌てていても仕事が手につかないから、僕はコンビ二で買っておいた缶コーヒーを非常階段に座って飲みつつ、休憩することにした。
廊下に出てから、屋外にある非常階段に行った。
「先輩なんすか。遅刻してんのに休憩すか」
野尻が非常階段の隅にヤンキー座りをして、煙草をふかした。
「いいじゃん別に。それよりさ、野尻、小説書いてるんだろ。ふることぶみの続き読ませろよ。他の作品もあったら教えてよ。ネットとかで公表してるわけ?」
「俺が小説書いているわけないでしょう。どんな言いがかりですか」
野尻は吸いかけの煙草を消して、オフィスに戻っていった。
僕は微糖の缶コーヒーをあけて、非常階段に座り、空を見上げた。
新宿上空で、天使と悪魔が戦っている様子が見えた。
あれは、幻想ではなかったのだ。
非常口の扉が開き、お茶のペットボトルを持ったまりあが現れた。
「イグチくん、休憩とるなら誘ってよ。初日でしんどいんだから」
まりあはペットボトルに口をつけてすぐ、煙草を取り出して喫煙を始めた。
「まりあ、空のあのへんで、戦争起きているの見えるだろ」
「やってるね」
「あの中にヨセフもリリスもいるよ、多分」
「だろうね」
だろうねって。どう返答したらいいのだろう。
「それよりさ、今晩あたりどう? 食事くらいおごってよ」
まりあが僕の体に胸を押しつけてきた。
「職場じゃやめろよ」
「好きなくせに」
僕は、頭の中にいる、消えうせたイザナミさんに向けてあやまった。
「ところでさ、イグチ君って、会社の中でもオナニーしてるわけ?」
「やってるわけないだろ」
やってるなんて、言えるわけがないだろう。僕の頭の中には、エルメスの石版が映し出したオナンの顔が浮かんでいた。
了
- [2008/06/11 23:05]
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人類の自由(35)
連載小説 (35)
六百六十六階分の急降下だ。風の抵抗を感じたが、不思議と腹に痛みはなかった。
落下しながら、僕はイザナミさんのことを思った。エルメスの石版が輝いた時、イザナミさんでなく、イシュタルが現れたのは何故だろう。僕はイザナミさんと遊びたくなかったのだろうか。イザナミさんは僕の中で、小さく、神や悪魔よりも意味のない存在なのだろうか。
上昇よりも落下の方が速いのは科学的に当然で、僕はあっという間に地上付近まで落ちこんだ。首をひねって下を見ると、新宿駅前に人が大勢いた。
もう通勤ラッシュの時間帯だろうか。このままでは会社に遅刻する。それに僕、全裸だし、通行人に変態と思われたらどうしよう。いろんな悩みが僕の頭の中にもたげてきて、イザナミさんのことをまた忘れそうになった。
JR新宿駅東口付近に僕は落下している。池袋駅前ビルから飛び降りた人が、歩行中の通行人にあたって、通行人は死に、自殺者は助かったというニュースを以前聞いたことがあった。僕の場合もそうなったらどうしよう。僕にあたって死んだ人浮かばれないな、通行人に当たりませんように、と思っていたら、僕は通行人に当たらず、道路の中にのめりこんだ。歩行中の誰も落ちてきた僕に気づいていなかった。
道路を突き抜けて、地下道も突き抜けて、僕は落下し続けた。
地下にもぐりこんだら真っ暗になった。このまま地球の裏側まで落下し続けて、太陽系の彼方まで飛び去ってしまうことになるかもしれないと思っていたら、落下中の僕の脇に、イザナミさんが現れた。
「もうすぐ黄泉の国です」とイザナミさんが言った。
イザナミさんはまた顔を白い布で覆っていた。
「できたら死ぬ前に、イザナミさんの顔が見てみたいな。イザナミさんの美しい顔を、思い出に焼きつけておきたいもの」
イザナミさんは首を横にふった。
「私の顔を見てしまったら、あなたは悲しみます」
「化粧してないの? 大丈夫。ノーメイクの方が好きだよ。見せて」
「本当に見るつもりですか。見ても驚きませんか。見たことを後悔しませんか」
「何そんなにもったいつけてんの。後悔なんてするわけないよ」
「あなたがそこまで望むなら、見せましょう、私の痛みを」
イザナミさんは顔を覆う白い布に両手をかけて、上に持ち上げた。
布の下には、真っ赤にただれた皮膚があった。
ところどころ膿んでおり、蛆虫がわいていた。
片方の目は瞼も無く、眼球がむき出しになっていた。
「見ろ」という声が頭の中でした。
思い出した。イザナミさんは事故にあって、亡くなっていたのだ。
会社のイザナミさんの席には、花がたむけてあった。
イシュタルはイザナミさんのかわりに、急遽派遣会社から手配されたのだった。
「よく見るんだ。目を離すな」僕は声にしたがい、イザナミさんの顔を見つめた。
ショックで心が痛かったが、イザナミさんを悲しませまいとして、僕は微笑むことにした。
「ありがとう。顔を見せてくれて」
僕はイザナミさんの顔を見つめたまま、ゆっくりかみしめるようにして言った。
「こわく、ないのですか。私を見ても、逃げ出さないのですか」
僕はうなずいた。
「会いたかった。話したかったよイザナミさん」
僕は、イザナミさんの消失から目をそらせていたことに気づいた。
僕が心の中で話していたのは、生きている頃のイザナミさんだった。今、僕は消えうせてしまったイザナミさんと話した。消えうせたということを受け入れたから、イザナミさんと話すことができた気がした。
イザナミさんの顔から生々しい怪我の跡が消えていった。僕が毎日見ていた美しいイザナミさんの顔が現れた。
「ありがとう。嘘でも嬉しい」
イザナミさんの姿が消えて、僕の落下も終わった。
- [2008/06/09 23:44]
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人類の自由(34)
人類の自由(34)
「イザナミさん、戦場にいたら危ないから、逃げた方がいいよ」
「大丈夫。ここはエデンの園じゃなくて、タカマガバラだから」
イザナミさんの横に木製のぼろ看板が立っていた。「高天原」と達筆で書かれている。
「このまま戦争を見続けるしかないのかしら。他にするべきことはないのかしら」
イザナミさんの顔の前で白い布が揺れている。何故顔を隠す必要があるのだろう。傷でも負ったのだろうか。綺麗な顔立ちを眺めたいのに。
「神も悪魔もさ、僕らのニューロン発火が生み出した虚構だよ。そんなの幻想だって否定するのは簡単だけれど、宗教や儀式は人間社会の文化に深く溶けこんでいる。文化大革命みたいに宗教文化全部破壊したら、人間の奥深さが消えてしまうよね。神と悪魔と一緒に生きていくのがいいと思うな。どちらがいいというわけでもない。悪魔の中にはかつて神だった存在がたくさんいるんだから。神と悪魔が戦いたければ戦わせる。それで現実に戦争が起きなかったら、平和だよ」
「あなたと一緒に生きていきたかった」
イザナミさんはそういい残して、「高天原」の立て看板とともに姿を消した。
「なに傍観決めこんでんだよ、アダム」
僕の前に黄金に輝く槍を持ったヨセフが現れた。
「ヨセフ、いやサタン、お前は神の側にいるのか、それとも悪魔の王なのか、どっちだ」
「どっちでもある。俺はお前たち人間と同じだ。善でもあれば悪でもある。お前ら人間を監視するのが俺の最大の役目だ」
ヨセフは槍の矛先を僕に向けた。
「立てよアダム。お前は地上に墜ちろ。地上と言わず地獄の底に墜ちてしまえ。お前はよからぬ考えを持った。神はお前が考えているような存在ではない。神は科学技術も何もかも超越した偉大な不可知の存在だ。これ以上知ろうとするな。全て忘れろ。消えてしまえ」
僕は立ち上がり、ヨセフをにらみつけてやった。
「不可知の存在ならヨセフ、お前が仕えている神も、お前のことなんて知らないんじゃないか」
「何を言うか、神は全てをご存知だ」
「お前は神のこと、全然知らないんじゃないか。神って不可知の存在なんだろ。不可知の存在について誰かが何かを知っていたら、その途端矛盾が生じるぜ」
「詭弁を言うな。このオナニー野郎」
「不可知の存在のしもべだというお前は、一体誰の部下なんだ。お前は誰のために働いているのか、何を仕事としているのか、何も知ることができないはずだ。お前が仕えているのは、不可知の存在なんだからな」
「うるさい。消えてなくなれ」
ヨセフが槍を放った。ず太い槍が僕の腹に突き刺さった。
「アダムよ。キリストを葬ったロンギヌスの槍とともに、地獄の底に墜ちてしまえ」
僕は槍がささった勢いで吹っ飛び、エデンの園から落下した。
- [2008/06/08 20:15]
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人類の自由(33)
連載中のワークタイトルを今日から「人類の自由」としてみました。人類の自由とは、神からの自由かも。力からの自由かも。
(33)
林檎の木の幹の裏から、マリアとまりあが姿を現した。
「こいつら二人とも俺が作った幻像だ。エルメスの石版作ったとか言って悪魔たちは盛り上がっているようだけど、天使の側はそんな技術、数十億年前から持ってたよ」
ヨセフはルシファーの方を見ながら邪悪な笑みを浮かべている。声は楽しげだが、目は真剣だ。
「さあ、どうする悪魔とオナニー少年。地獄に墜とされたいか」
ヨセフが右手をあげた。丘の向こう側から翼の生えた天使たちが、甲冑姿で大量に現れた。
「全部俺の子分。お前らすぐ死ぬよ」
天使たちは剣やライフルやらマシンガンやらを手に持っていた。
「悪魔を甘く見るなよ。考える力のない下僕どもめ」
ルシファーが左手をあげた。藪の中から蛇の群れが大量に現れた。蛇はどんどんまとまって、龍や巨人など神話上の怪物の姿になっていった。
「久々に全面戦争開始ってわけだ。アダムよく見ておけ。神にたてつく連中がどうなるか見せてやる」
ヨセフが右手を前に倒すと、天使の軍団が一斉に怪物の群れに突っ込んでいた。怪物たちも炎を上げて、応戦している。
僕は爆風や飛び散る肉片をかきわけて、エデンの園の端に向かって走って逃げた。別に超能力があるわけじゃないし、逃げるしかなかった。
草むらの間に寝っころがって、僕は一人で戦況を見つめた。特にどちらを応援するわけでもない。ヨセフは個人的に憎らしかったが、かといって悪魔たちの側も応援できないし、僕は中立的立場に自分をおくことにした。
「戦争はんたーい。武器を捨てて和睦しましょう」
僕は半ば皮肉を交えて小声で言ってみた。
バベルの塔から続くエレベーターのドアが開いて、怪物たちがたくさん現れた。エルメスの石版を見た会場に現れたベリアルという赤い龍もいたし、蝿の群れを従えている、巨大な蝿の化け物もいた。
天使たちは天上の彼方から次々降ってきた。天使の群れが合体して飛行機型のマシーンになり、悪魔に向けてミサイルをぶちこむ様子も見られた。エデンの園の上を戦車が走っている。悪魔の軍団は武装が前近代的というか空想的というか、天使たちの科学技術の前になすすべがないように見えた。
「やれやれー、どっちも負けんなー、戦争はんたーい」
僕はみんなに見つからないように身を縮めながら、小さな声で応援した。
「あなたは、どちらの味方なの?」
聞きなれたイザナミさんの声がした。
振り向くと、白い着物を羽織った女性が立っていた。白い布が顔に垂れているので、顔はわからなかったが、彼女は確かにイザナミさんだった。エデンの園に行けばイザナミさんに会えるというルシファーの言葉は、本当だったのだ。
「僕はどっちの味方でもないよ。神を滅ぼそうとも思わないし、悪魔と戦うつもりもない。どっちとも共存できたら、それがベストだと思ってる」
「神にも悪魔にも優しいんですね」
僕は恋する女性を前にして、全裸でいるのが恥ずかしくなってきた。
- [2008/06/07 19:59]
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人類のトラウマと自由(32)
(32)
エレベーターボーイは小説を読み終えると携帯電話をリリスに返した。
「どうだった? 私の小説」
「マグダラのマリアって、キリストの異母姉妹なの?」と僕が尋ねた。
「もちろん私の創作だよ。これは小説なんだから」リリスが答えた。
「いや、本当の話だよ」冗談なのか真実なのか、ルシファーが軽い調子で言い添えた。
エレベーターの動きが止まり、ベルが鳴った。
「お待たせしました。六百六十六階です」
エレベーターの扉が開くと、霧に包まれた庭園が広がっていた。空気が薄く、呼吸しづらい。
僕とリリスとルシファーは、エデンの園の上に降り立った。
「霊妙神聖に見えるが、木陰に私の配下の悪魔を配している。魔王クラスばかりだ。神も天使も意外と馬鹿だったよ」
「懐かしいわここ、ねえアダム」とリリスが言った。
僕にはこの場所の記憶がなかった。
「なんだか服着ているのが間抜けに思えてきた。脱いじゃお」
リリスは上半身に身に着けていた真紅のセーターを脱いだ。ブラジャーの隙間から白い蛇がたくさん出てきた。蛇たちは藪の中に消えていった。リリスはブラジャーも外して真っ裸になった。
「アダムも脱ぎなよ」
僕も上着を脱いで全裸になった。ルシファーはトレンチコートとスーツを着たままだった。
「おいアダム、そんなんじゃ風邪ひくぜ。葉っぱでもつけてろよ」
遠くから耳慣れた男の声が聞こえてきた。ヨセフだった。
楽園の真ん中にある林檎の木の下に、カトリックの司祭が身にまとうような法衣を着たヨセフがいた。ヨセフの背中には大きな羽が二枚ついていた。
「ヨセフ、お前天使だったの?」
「ま、平たく言えば天使ってとこかな」
「天使がアダルトビデオの撮影なんかしていていいわけ?」
「俺はお前ら人間を監視して、同時に誘惑するのが役目なんだよ。人間だけじゃなく、悪魔も監視してるし、誘惑している。まあ神の国の平和にとって、相当重要な役割を担っているわけよ」
ヨセフはそう言っている最中、ずっとルシファーのことをにらんでいた。
「気をつけろ、あいつはサタンだ。キリストも仏陀も奴が誘惑している」
ルシファーがヨセフを指さして言った。
「で、今日は何しにきたの? あんたら。みんなまとめて焼き払ってあげようか? エルやオナンに雷落として殺してやったの、本当は俺だし。秩序にたてつく人間には容赦ないぜ、俺」
性格が無秩序そうなヨセフにそう言われると、なんだか腹立たしい。
- [2008/06/04 23:34]
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人類のトラウマ、自由(31)
連載第31回
僕らはエレベータホールに向かった。ホールにはエレベーターが百台くらいずらっと並んでいた。ルシファーに導かれて、僕らは一番奥のエレベーターの前に立った。
ドアが開くとエレベーターの中には、緊張した面持ちのエレベーターボーイが立っていた。ボーイもまた下半身裸で、過度の緊張のせいかちょっと勃起していた。
「ルシファー様、いらっしゃいませ」ボーイの声は緊張で震えていた。
「客人を連れてきた。六百六十六階まで連れて行ってくれるか」
「はい! かしこまりました!」
ボーイはジャンプして、一番高い位置にある「666」のボタンを押した。
ドアが閉まって、エレベーターが上昇し始めた。
ガラスの壁越しに、外の景色が見えた。新宿の街並みはまだ暗くてよく見えなかったが、だんだんと夜は明け始めていた。
「あ、明けの明星」
リリスが東の空を指していった。
東の空に金星が輝いていた。古代社会において堕天使ルシファーも女神イシュタルも、一際強烈に光り輝く金星の象徴として捉えられていたことを思い出した。
エレベーターはスピードをあげて上にのぼっていったが、いつ天上につくのかわからなかった。
「アダムさ、帰りが遅かったから、携帯で小説打ってたの。今読み上げていいかな」
リリスが最新機種の携帯をいじりながらそう言った。
「読むと疲れるから、勃起してるボーイさん、読んでもらえる?」
ボーイは職務規定に反すると思いながらも、ルシファーも何も口を挟まないので、リリスから渡された携帯電話の液晶画面を見ながら、物語を朗読し始めた。
「ヨセフの妻マリア 二」
ヨセフとマリアが暮らす町に、マリアという名の元娼婦が暮らすことになった。ヨセフは、妻と同じ名前を持つマリアに興味を持ったが、性的に潔癖な共同体を維持している町民たちは、元娼婦のマリアを毛嫌いし始めた。
神に従順な誓いをたてているヨセフの妻マリアと区別する目的で、元娼婦のマリアは、マグダラのマリアと呼ばれるようになった。
マグダラのマリアは与えられた狭い住居で、つつましく暮らしていた。心優しいヨセフは、マグダラのマリアが迫害されていないか気になって、よく彼女の家に顔を出すようになった。夫も子もいないマグダラのマリアは生活に困っていた。ヨセフはバベルの塔建設で得た稼ぎの一部を、マグダラのマリアに分け与えた。
あいかわらずヨセフは、妻マリアの中に入ることがなかった。ヨセフは他の町に行って、遊女と遊ぶこともなかった。「神が見守っていてくださいます。時が満ちれば子が生まれます」という妻マリアの言葉にわずかながら疑いの念を持ちながらも、ヨセフは純潔を守った。
マグダラのマリアは、ヨセフが子を持っていないこと、妻マリアがヨセフとの性交を拒否していることを噂で知るようになった。マグダラのマリアは、心優しいヨセフが、自分に好意を寄せてくれることをとても好ましく思っていた。
ある日、バベルの塔が崩壊した。瓦礫の山に埋もれて怪我を負ったヨセフは、マグダラのマリアの家に立ち寄って、治療を受けた。その際、ヨセフとマグダラのマリアは交わった。ヨセフにとって初めての行為であった。
マグダラのマリアはみごもった。結婚していないマグダラのマリアが妊娠したということは、町民の間で大きな問題となった。マグダラのマリアの家にヨセフが足しげく通っていることを知っている者たちは、ヨセフが姦淫したのではないかと疑った。マグダラのマリアを火あぶりにしようという声が高まった時、マグダラのマリアは町を出て野に消えていった。
後にヨセフの妻マリアは、天から男の子を授かった。ヨセフとマリアは夫婦の契りを結んでいなかった。人々はマグダラのマリアの事件を忘れ、これを奇跡として祝福した。
ヨセフの妻マリアの子は成長し、故郷の町を離れた。ヨセフは妻と二人で敬虔な生活を送った。妻マリアが礼拝に向かって家をあけた時、ヨセフの家に一人の若い女性が現れた。彼女は遊女の身なりをしていた。
「こんにちは、お父様。私の母は、マグダラのマリアです。母はバベルの塔を作っていた頃のあなたと交わり、私を産みました。私が幼い頃、母は野に死にました。私は愛する母の名を受継ぎ、マグダラのマリアと名乗っています。母はあなたに大きな恩を感じていました。母の代わりにお礼を言いにきたのです」
ヨセフは目の前にいる娘の瞳が、かつて交わったマグダラのマリアに似ていることに気づき、涙した。
- [2008/06/03 23:36]
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人類のトラウマ、自由(30)
もう一つの連載小説に出てくるサマルと当小説に出てくるサマルは一切関係ありません。
(30)
「まあでも神様に会えるなら、エデンの園に行くのも悪くないな。毎日会ってるのかもしれないけど」
「またいつバベルの塔がつぶされるかわかったもんじゃない。交渉成立だね。行こう、エデンの園に向けて」
ルシファーが指をならした。おっパブ状態だった会場内が真っ暗になった。
「エロエロエッサイム、エロエロエッサイム」とルシファーが唱えた。
光が戻ると、男たちも、男たちの記憶から再生された女たちもいなくなっていた。イシュタルもタマルもオナンも消えた。司会の男とエルメスの石版だけはステージ上に残っていた。
「何これ? ルシファーが消しちゃったの?」
「始原の液体に戻っただけさ。座席を見てごらん」
僕はカメラマンが座っていた席をのぞいてみた。シートの上に白い液体がべっとりついていた。
「彼らは精液そのものになった。決して受精する可能性のない精液。悪魔的快楽の象徴だ。さあ、気にせずエデンの園に急ごう」
「ちょっと待ってよ。こいつらも人間だろう。人間そ簡単に精液にしちゃっていいわけ?」
ルシファーは首を左右に振った。
「もうすぐ世界の終わりは近い。神が勝つか、我々反逆者たちが勝つか。どちらにしても、人間たちの社会は終わる。みんな精液になる。それだけだ」
僕は、神の思うがままになるのも嫌だったけれど、ルシファーにもついていけないと思った。
「悪魔は何を望んでいるんだ。僕をなぜエデンの園に連れていくんだ」
「悪魔も神もそれ自体では存在できないんだよ。君たち人間が想像して、記憶して、書物や映画に記録してくれなければ、神も悪魔も存在できない。神を倒すには、人間の力が不可欠だ」
「神との戦いが終わった後、僕らを滅ぼすつもりなのか」
「私たち悪魔は絶対的な自由と解放を望んでいる。神が消え去った後の世界でどう生きていくかは、神にとどめを刺した後、ゆっくり話し合って決めようじゃないか」
悪魔との取引か。
僕はルシファーの後をついて、会場を出ることにした。
「ご利用ありがとうございました。どうぞいってらっしゃいませ、ご主人様」
司会の男がステージ上で僕らに最敬礼してきた。ルシファーは軽く手を挙げて声援に答えた。
再び、潤っている肉管の内部のような狭い通路を抜けて、フロントに戻ってきた。
リリスはソファーに座って携帯電話をいじっていた。
「お帰りアダム。ルシファーにも会えたんだね」
「リリスか。またアダムの前に現れて。そんなにイブのことが憎いのか」とルシファーが言った。
「アダムの妻は私。イブはアダムの肋骨から作られた意志のないロボットだよ。アダムを幸せにできる賢さを持っているのは、私だけだ」
リリスが僕の股間に手を伸ばしてきた。
「こんなところでやめろって」
僕は立ったまま腰をひいた。
「何言ってるの。自由じゃない。エデンの園で知恵の実を食べてから、こういうプレイを恥ずかしく思うようになったんじゃない? 本当はオナニーもセックスも恥ずかしがる必要なんて一つもないのに」
「お前が蛇の姿になって林檎を食べるようにすすめたくせに」とルシファーが言った。
- [2008/06/02 23:22]
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