小説テーマ『人類の絶滅』連載終了の辞 

22回にわたってブログ上に連載していた小説『人類が絶滅する小説』の連載が終わりました。
当小説は、私のサイト「7代後の孫への話」にて、まとめて読むことができます。

アドレスはこちらです。
『人類が絶滅する小説』
http://grandchild.is-mine.net/roman/novel/zetumetu.html


連載時から、前半部分の文章、構成を大幅に変更しています。
具体的には、スカトロが好きな派遣社員、オナンのエピソードを増加していますし、マーラーの交響曲に関する引用も増やしています。

人類は絶滅していませんが、近代文明自体は崩壊の道を突き進んでいます。文明崩壊の序曲を聞き取る作業は、この連載が終わっても、私の体が朽ち果てるまで続くでしょう。

小説テーマ『人類の絶滅』(22)最終回 

連載小説『人類が絶滅する小説』(22)最終回

 二人で公園に行った日の夜、ナイフを突き立てられたエルは、無言で私の顔を見つめていた。私はエルの唇に、自分の唇を重ねた。目を閉じて、エルの心臓にナイフを突き立てた。エルの口からあふれ出した血液が、私の口の中に入ってきた。私は自分の腹を引き裂き、サマルの体から抜け出た後、脈打つエルの心臓を食らった。サマルとエルは亡骸になり、私は新しいエルになった。
 私はパンチで穴をあけられた旧免許証と、新免許証をローテーブルの上に並べてみた。二枚の顔写真は微妙に印象が違っていたが、係の人たちは誰も、免許証の持ち主が別人だとは気づいていなかった。
 私はクラウス・テンシュテットが指揮するマーラーの交響曲第九番の第三楽章をかけつつ、ノートパソコンの電源を立ち上げ、文章を記録し始めた。
 マーラーという作曲者が作り上げた音楽を、何人も別の指揮者が演奏する。指揮者によって、演奏の解釈は異なる。晩年のテンシュテットが奏でる音は、他のどの指揮者による解釈とも異なっていた。古典的に崇高な雰囲気を持っていながらも、大衆受けしそうな、獰猛な音響が時折噴出した。盛り上がる部分では金管が轟音で鳴り響き、ティンパニーは強烈な打撃を繰り返した。生命が死滅する瞬間を覗いたものだけが作り出せる、地獄の底で鳴り響くような交響曲だった。
 作曲者であるマーラーが意図した音の響きとは異なるものかもしれないが、テンシュテットとマーラーの相互作用により生み出された、芸術表現の極みだった。
 私はエルが書き散らしていたブログに、エルに成り代わって文章を続けた。運転免許の更新でさえ、私は偽装することができた。写真撮影でも、ICチップの登録でも、誰も私がエルだと気づかなかった。会社にも退職届を出してきた。これから私は、エル自身が本来到達したくて、到達できなかった生活、すなわち正直に生きる歩みを続けることにした。
 エルは地球の破滅をどうにか救おうと文章を書いていた。私は絶滅をくいとめることを目的としない。絶滅の過程を正確に記録することを目的として、エルの文章を引き継いだ。
 私が書き継ぐ記録は、私が属する組織のために書かれるものだが、人類に内容を公開したところで、問題はなかった。どうすれば人類絶滅をくいとめることができるのか、解決策がわかっていたとしても、私は文章におこさなかった。これは干渉ではない。考えるのは人類だ。
 私はエルが書いていたのと倍の量と速度で、絶滅過程の記録を書き、エルのブログ上にアップし続けた。
 真実だけを書く私が織り成す唯一のフィクションが、エルの生存であった。エルに対するせめてもの慰めとして、エルが生きているように書くこと。それが、エルが時折見せた真正直さに対する償いになろう。
 私は上にめぐりあげていた皮膚を引っ張って、下におろした。皮膚の表面をひっぱって、伸ばすと、エルの顔に戻った。
 僕は新免許証を手に取り、鏡に映る自分の顔と見比べてみた。鏡に映る僕の顔は、免許証に映る僕の顔よりも精気があり、生きて活動しているように見えた。続いて僕はパンチで穴を開けられた五年前に撮った免許証の写真を見た。
 よくよく眺めてみると、五年前の僕の写真と、午前中に撮影した僕の写真と、今鏡に映る僕の顔は、全て別人の顔のように見えた。僕が今まで付き合ってきた人たちと、会わなければ、そうした変化も気にする必要はないだろう。
 マーラーの第九番は第四楽章のアダージョになっていた。僕はビジネスバッグの中から、オナンという同僚が貸してきたブルーレイのソフトを取り出した。『ハイビジョン超高画質で堪能する異常性欲』と書かれたそのタイトルを、僕は再生してみた。
 第四楽章の響きは、天国の音によく似ていた。テレビ画面には、裸の男女が次々現れた。このソフトは男性の性欲処理を目的として作成されたものらしく、性交の様子がたくさん描写されていた。僕には性欲というものがなかったので、リモコンを使って六十倍速で見ていった。
 途中、女性が排便している映像が出てきたので、僕は再生速度を普通に戻してみた。このチャプターのみは、性交シーンがなく、女子トイレで撮影された、女性の排便行為が延々続いた。排便のスピードと、マーラーのゆったりしたアダージョのテンポは、歩調をともにしていた。
 僕はアップで映る排便行為を再生し続けながら、パソコンにブログの管理画面を開いた。そのまま夜遅くまで、世界で起きたニュースを文章化していった。
 秋葉原の事件の犯人が、ネットの掲示板に犯行予告を書いていたため、ネット上に犯行予告を書いただけで、逮捕される人が続出していた。そうした摘発にもかかわらず、秋葉原ではまたもやナイフによる殺傷事件が起きていた。
 インドのムンバイでは、売春を強制する少女たちの成熟を早めるために、売春組織が十代女性に女性ホルモン剤を投与していたことが明らかになった。
 テロル、殺人事件、偽装、汚職、環境破壊、不正行為の数々を文章化するばかりでは息が詰まるので、僕は他愛のない日常の様子を、文章の合間に挟んでいった。
 他愛ないという言葉は、他に愛がないと書く。他愛もない日常の出来事とは、愛の他には何もない行為の積み重ねではないかと思えた。

(了)

小説テーマ『人類の絶滅』(21) 

連載小説『人類の絶滅』(21)

 講義終了後、僕は階段を使って四階に行き、新運転免許証の発行を待った。講義受講者のうち、最初に四階にたどりついたのだが、僕の運転免許はまだ発行されていなかった。僕はベンチに腰かけて、受付番号の順番が回ってくるのを待った。
 運転免許試験場で日曜日に働いている係の人たちは、全員公務員なのだろうかという疑問がわきあがってきた。新しい運転免許証を、受付票に記載された番号と照合しながら配布している窓口の女性二名は、毎日毎日こうした書類と番号を整理する仕事に携わっているのだろうか。
 よく考えれば、オフィスワークのほとんどはそうした整理の仕事に費やされている。オフィスワークの本質は、整理整頓活動による秩序の維持創出かもしれないが、僕はここに秩序を見出すよりも、合理の行き過ぎから生じる退屈さを見出していた。
 受付票と引き換えに渡された運転免許証に映る僕の写真は、五年前の写真よりも肌の色が白くなっていた。見ようによっては別人に見えなくもなかった。写真撮影前に、肉眼で見る顔と、免許写真の顔が、まるで異なるものになることを確認していたから、僕は写真映りの悪さを落胆しないことにした。
 免許更新手続きで最後にやることは、新免許証のICチップに登録された、本籍の内容に間違いがないか確認することだった。
 以前なら、運転免許証の表面、現住所欄の上に本籍が記載されていたが、新免許証では、本籍はICチップ登録情報となって、表面から消えたのだった。偽造行為を防ぐためと講習時説明されていたが、ICチップのデータを一括して盗まれる危険の告知は不要なのだろうかと思えた。
 ICチップ確認端末の上に新運転免許証をおくと、暗証番号の入力を求められた。一階で登録しておいた暗証番号八桁を入力したら入力ミスを指摘された。入力ミスが八回続くと、手続き不可になるという警告メッセージも出たため、暗証番号の用紙を見ながらもう一度入力した。
 液晶画面上に運転免許証が表示された。本物の免許証の本籍欄は空白となっているが、画面上には僕の本籍が表示されていた。本籍の住所よりも、本籍欄の横に映る、僕の顔写真が目についた。
 本籍の住所を確認した後、僕は免許証を取り出して、財布のカード入れの中に入れた。パンチで穴を開けられた以前の免許証は、マンションに帰ってから、はさみで切って捨てることにした。
 運転免許試験場を出ると、十時十五分過ぎであり、雨が降り始めていた。無意味な手続きで休日の貴重な時間が無駄になるという考えが最初はあったが、いざ手続きを終えてみると、午後の時間はたっぷり残されていた。懸念だった免許更新を何の問題もなくこなせたから、ほっとした。


***


 行きと同じように乗り継いで、新中野のマンションに戻った。伝車に乗っている最中は、「夜の交響曲」と呼ばれるマーラーの七番を聴いていた。
 僕は自分の部屋に帰らず、サマルの部屋に向かった。サマルの部屋には、相変わらず鍵がかかっていなかった。
 サマルの部屋のリビングには、マーラーの「大地の歌」が小さな音量で鳴っており、東京都指定のゴミ袋がちらばっていた。
 部屋の真ん中に、白い花が敷き詰められていた。茎の長い白い花の合間に埋もれるようにして、サマルと僕の裸体が横たわっていた。
 二人とも目をつむり、安らいだ表情をしていた。僕の裸体の左胸には、ナイフで心臓を抉り出した傷痕が残っていた。サマルの裸体には、胸上からへそのあたりまで、体の中心線に沿って裂傷が走っていた。皮膚と皮膚の間にあいた細長い穴を覗いても、臓器は見えず、真っ黒い空洞があるだけだった。
 僕は二人の遺体に深く礼をして目をつむった。耳にはテノールとアルトの掛け合いが聞こえてきた。
 自分の部屋に戻って、エアコンのスイッチを入れた。僕は鏡の前に立ち、あご沿いに顔表面の皮膚をつかんだ。
 皮膚を両手で思いっきり引っ張りあげると、エルの顔の下から、私本来の緑色の皮膚が現れた。

小説テーマ『人類の絶滅』(20) 

連載小説『人類が絶滅する小説』(20)

 日曜日、東陽町にある江東運転免許試験場まで免許更新に行った。当初は有給をとって、新宿にある免許更新センターに行く予定だったが、オフィスワークが忙しくて、有給をとれなかった。
 日曜日に更新にいけるのは都内だと、府中と江東と品川にある運転免許試験場だけだった。他の試験場はどれも駅から遠かったり、バスの利用が推奨されていたため、中野からは遠かったが、東陽町駅から徒歩五分の江東運転免許試験場に行くことにした。
 朝八時前に起きて、丸の内線に乗り、新宿三丁目で降りた。新宿三丁目駅は、地下鉄副都心線が開通したせいか、ライトの多い、近未来的なデザインになっていた。
 新宿三丁目から都営新宿線で九段下まで乗り継ぎ、九段下からは地下鉄東西線に乗った。東陽町駅の到着時刻は八時半過ぎだった。駅から地上に出て、ファミレスやカフェが並ぶ大きな道路沿いの歩道を六分ほど歩き、運転免許試験場に到着した。
 試験場構内に入ってすぐ、長蛇の列ができていた。試験場では、運転免許試験と更新手続きができた。平日来ることができない労働者たちが、大量に詰め掛けているのだろう。僕も縦四列の末尾に並び、アイポッドでテンシュテット指揮によるマーラーの交響曲第六番を聴きながら、順番が来るのを待った。
 僕は自動車を持っていないペーパードライバーであるため、当然無事故無違反のゴールド免許保持者だった。免許更新の区分は優良であり、手続きも少なかった。
 五分近く並んでから、受付にたどりついた。受付では現免許証の記載住所から、異動ないことを確認された。僕は渡された受付票に、氏名など必要事項を記入した後、収入印紙を購入する別の短い列に並んだ。
 優良区分の手数料三二五〇円を支払った後、僕は個人情報保護用の暗証番号を登録する端末機の列に並んだ。その場で決めた暗証番号八桁を端末に入力すると、ゴシック体で打ち出された暗証番号が、レシートのごとく印刷されて出てきた。
 視力検査、写真撮影と続いた。視力検査は輪のあいている部分を言い当てるだけですぐに終わった。写真撮影の前に、現在の免許証にパンチで穴をあけられた。
 写真機の前で並んで待っていた時、前の女性が機械に写される様子を見た。肉眼で確認された女性の顔と、コンピューター画面に映し出された写真用の女性の顔は、別人のように見えた。椅子に座ってかしこまっている女性の顔は、僕の瞳に映る時、ごく普通にかわいらしく見えたが、コンピューターの液晶画面に映る彼女の顔は、何十倍も堅苦しくなっていた。撮影用のカメラに、人間が持っている美をはぎとる細工がしかけられているのではないかと思えたほどだった。
 写真撮影を終えた後、僕は係の人に誘導されるままエスカレーターで二階に上がり、優良者向けの三十分講習を受けた。
 講習は白髪で定年間近といった感じの教官が行っていた。教室左奥には大画面の薄型液晶テレビがあり、講習ビデオはDVDによる再生だった。
 ビデオ上映が終わった後、五年前の前回免許更新時から今回の更新時までの、制度変更点が講義された。駐車の取り締まりが厳しくなったこと、飲酒違反の罰則が厳しくなったこと、老人に対するケアが手厚くなったこと等が説明された。最後に、ちょうど今年の六月から施行されたばかりの、後部座席のシートベルト着用義務化が説明された。
 制度改正についての矢継ぎ早の講義が続く中、僕はホワイトボードに書かれた交通事故者数の分析結果を眺めていた。交通事故による負傷者と死亡者の数が、全国と都内にわけて表示されていた。うち老人の被害者数も表示されていたし、今年度累計の数字が、昨年度より減少していることも明示されていた。

協議テーマ『人類の絶滅』(19) 

連載小説『人類が絶滅する小説』(19)

「つまり、自分たちが干渉しないのだから、愚かな人類は滅びるしかないと言っているわけか。ずいぶん高飛車な言い方だな」
「厳密な調査結果からみて、明らかじゃない」
 サマルは立ち上がって、ブランコに座る僕の正面にやってきた。
 サマルは僕が貸したワイシャツを両手で引っ張った。ボタンが外れ、黒いブラジャーをつけた上半身が露わになった。
「エル、私を殺して」
 僕の目の前にはサマルの真っ白な上半身が広がっていた。
「君のさっきまでの話はわかったけれど、殺せというのは納得できない」
「あなたは知らないかもしれないけれど、私を殺すも同然のこと、あなたたちは毎日繰り返しているのよ。さあ、殺しなさい」
 サマルはどこに隠していたのか、カーゴパンツのポケットからナイフを取り出し、僕の方に投げた。僕は慌てて手を出し、ナイフを手につかんだ。ナイフは軍事用のものらしいサバイバル型だった。
「さあ、その刃物で私の心臓を繰り抜いて、この木の下に埋めてしまって」
 サマルが左胸を僕の顔の前に突き出してきた。僕はナイフを自分の体の後ろに回した。
「何故、私を殺そうとしないの? あなたたちは地球上最も残虐で非道な、神の失敗作だというのに」
「僕は君を殺せない。それが僕の正直な気持ちだ」
「なら、私があなたを殺す」
 サマルが先程とは反対側のポケットから、ナイフをもう一本取り出した。
 僕は人を殺したことがない。殺されると想像したこともない。想像の枠外にある出来事に、人は対応できないものだ。
「もう人類に干渉しないとさっき言っていただろう。前言撤回か?」
「干渉はしないけれど、観察は続ける。あなたたちも、絶滅する生物の最後を記録しているでしょう。調査の目的は変更されたわ。人類を救うためでなく、なぜ人類は絶滅するのか、後代の参考にするため、調査が続けられることになったの」
 サマルはナイフの刃先を僕の左胸の上に当てた。少しでも動けば、僕の心臓にナイフが刺さる。僕は背中に回したナイフを握り締めなおした。

協議テーマ『人類の絶滅』(18) 

連載小説『人類が絶滅する小説』(18)

 僕はサマルと、サマルの裏にある組織の暴挙を食い止めるために最大限の努力をしようと思った。サマルの方が、知識も知性も僕よりはるかに上だろうが、僕は自分にできる限り最大の抵抗を試みることにした。
「サマル、君たちの意志決定を撤回するために、僕は今まで学習を積んできたように感じるよ。僕が人生に充実を感じていた頂点は大学合格の知らせを受け取った時だった。高校三年間の猛勉強の成果が、大学合格で報われた気がした。今振り返ればとても馬鹿らしい判断だけれど、僕は大学に合格してから、薔薇色の人生が開けると信じていた。大学生活開始後、実現したのは、生きる目的を失って、心身失調となった自分だった。ヘッセ的な受験馬鹿だった僕は、人生の目的も、直面に存在すべき目標も見失い、生きることの充実感や誇りを失った。しかし今、僕の目の前に、生きることの目標が見つかった。サマル、君たちの意志決定に干渉することだ。君たちと交渉し、人類の生存を勝ち取るためにこそ、僕は今まで学習してきたように感じる」
「交渉の余裕はないわ。人類滅亡は決定された」
 僕はサマルの否定に答えず、思考を進めた。
「人類の歩みを修正するために僕の知識を用いる。抜本的改革を行うわけじゃない。今生きている生物の幸せを守るために、僕は知性と時間を使うことにする。サマル、そのためにもチャンスをくれないか?」
 サマルは答えなかった。僕はサマルの横顔を見た。サマルは相変わらず厳しい顔をして、まっすぐ前を見つめていた。
「以前部屋にあったカプセル、もう爆発させたのか?」
「あのカプセルは、本当は爆弾でもなんでもない。我々の栄養源なの。絶滅のスイッチは、あなたたち自身が入れた」
「何? どこかの国が、核爆弾でもぶっぱなしたのか?」
「すぐ崩壊は訪れない。ゆっくりと人類は死滅していく。現存する地球生命の多くは、人類と一緒に死滅していく。そのゆっくりした死の行進に、私たちは干渉しないことにした。同類が死んでいくのに干渉しないで済ますことは、人類が示した振る舞いでしょ。私たちも人類に見習って、人類の絶滅過程に一切干渉しないことにしたの」
 サマルの声はいつになく低く、小さな囁き声だった。僕は時折道路を走るトラックが吐き出す轟音を邪険に感じながら、サマルの言葉を聞き取っていた。
「手を引くということは、それまで好意的に介入していたということ?」
「時折私たちは、人類の行為を善い方向に導こうと干渉してきた。しかし、そうした振る舞いももう終わり」
「もしかして、人類に干渉しないということが、意志決定の内実なのか?」
「その通りよ。私たちの調査結果から、人類は早々に滅びるという予測が立てられた。今まで私たちは、あなたたちが間違った道に行かないように支援してきたけれど、ここ百年は手を控えてきた。そして先週末、あらゆる干渉行為を永久停止することが決定された」

協議テーマ『人類の絶滅』(17) 

連載小説『人類が絶滅する小説』(17)

 僕はスウェット姿のまま、外に出た。深夜の歩道には、帰宅中のビジネスマンと、肌の露出が多い服装をした若い女性が散見された。丸の内線の昇降口近くの銀行前には、手相占いの易者がいた。
 易者はグレーのスーツを着て、髭を生やしていた。白い布で包まれた小さな台には「科学的判定」と書かれていた。易者は携帯電話で誰かと話していた。街頭に店を構えている易者という昭和的存在が、携帯電話で話しているのが奇妙に感じられた。 
 僕とサマルは会話することもなく青梅街道沿いを歩いた。丸の内線の上を通る青梅街道には、終電間際だというのに大量の自動車が走っていた。これだけの人々が、深夜自動車に乗って何処に向かっているのか、よくよく考えてみれば不気味に思えたが、毎日当たり前の光景になっていたので、気にせずにいた。
 僕らは交差点を渡った先にある公園に寄った。公園の脇には、シャッターをおろした交番があった。
 公園の中に入るのは、今日が初めてだった。自転車通行中に眺めていた時は、公園内で子連れの母親が話し合っているのをよく目にしていた。マダムの社交場になっている狭い公園という認識しかなかったが、いざ足を踏み入れてみると、想像していたよりも公園は広かった。公園脇の歩道には帰宅途中の人々が通っていたが、公園には僕ら二人きりだった。
 木が等間隔で何本か立てられており、青梅街道寄りには明かりの灯った公衆トイレがあった。砂利を前にベンチが並んでいたが、僕らは奥にある小さなブランコに座った。ブランコは大人が座るには板の位置が低すぎて、こぎ出せば足が地面にぶつかりそうだった。
 僕は四つ並ぶうち、一番道路側のブランコに乗った。サマルは僕の左隣のブランコに乗った。僕らの右手には鉄棒と、小さな滑り台があった。左手奥にはカラフルに着色されたジャングルジムと、大きな砂場があった。僕はサマルの正面に立つブナの木を見つめた。サマルも僕も、ブランコをこぎ出そうとはしなかった。
「昨日も今日も下着で、どうしたのさ」
 僕は左のブランコに座るサマルを見ずに、前方を見つめて尋ねた。僕の脳裏にはキャリアウーマンというか特殊部隊の女スパイのように、整った着こなしをしていたサマルの姿が蘇えっていた。
「正直になりたかったのよ」
 サマルは僕の質問をはぐらかそうとしているのか、本当にそう思って裸同然の姿となったのか、はかり難かった。
「人間が服を身につけ出してから、自分に嘘をつくようになったというのは真実だと思うよ。特に近代以降はそれが加速した。消費社会では誰もが過剰に洋服を持ち、嘘をついている」
「世界中には服を買うことさえできない人も大勢いるのに、あなたたちは新しい服を作り続け、売れ残れば処分する。そんなことの繰り返し」
「サマル、僕たちに絶望しているのか?」
 サマルは言葉を返さなかった。僕はサマルの目の前にあるブナの木を見つめていた。
「あなたたちは、気づかないふりをしている。情報としては同胞が衣食住にもこと足りず生きていることを知っていても、生活を変えずに浪費を続けている。これを不誠実と言わずに、何と表現すべきかしら?」
 サマルが言うように、僕らは他人に干渉せず、生きていた。もちろん政府間の援助はあるし、積極的に援助活動をしている良心的な人々も多かったが、世界システムの全体をみた時、そうした良心的行為の量は微細であり、圧倒的多数は世界の情報を入手することさえせず、浪費を続けていた。
「エル、我々の決定はなされた。人類は滅ぶべきである。理由は不誠実であること。目の前に広がる現実を見ても、気づかぬふりをして享楽していること」
 サマルの言葉は、預言者か新興宗教の開祖の宣託であるようだった。僕は反論することにした。
「待ってくれ。正直に生きていれば、東京で暮らす限り、世界の現実は見えてこないよ。国際ニュースで世界の現実を垣間見たとしても、それは対岸の火事に過ぎず、僕らに切迫した行動を促したりはしない。日本の生活の安全は、有る程度保障されている。正直に回りを見てみよう。凶悪な事件や事故は、ニュース映像を通してしか認知されない。つまり、東京で暮らすことはストレスフルだけれど、いつでも平和だ」
「それでは、あなたたちが作り上げた社会の仕組み自体が、問題ではないの?」
 サマルの声は冷たかった。
「制度的に問題があるかもしれないけれど、制度を作り上げた人と、それに従って生きている人は別じゃないかな。無実な人たちを絶滅させるのはよくない」
「誰も悪い人はいないと? どこかで歯車が狂ってしまった。なら歯車を狂わせた人が悪いんじゃない? 歯車が狂ったまま、修正しようと努力してこなかった人にも、責任があるんじゃない?」
「僕らは今必死になって修正しようとしている」
「システムトラブルを修正しようとしていないじゃない。テレビ画面の窓を通して、システムが生み出すトラブルを見つめているだけじゃない」