小説『人類のトラウマとオナニーの朝焼け』(9) 

連載中の小説は、数年前、別のブログ上で連載していた小説「ヨセフの妻マリア」のリライト版です。新人賞応募用に書いていましたが、だんだん長大化してきたため、応募せずにいた作品です。

本日掲載分から仮タイトルを、「人類のトラウマとオナニーの朝焼け」としてみました。また、読み込みに時間がかからないよう、1回あたりの掲載分量を短めにしました。少しずつ清書して、掲載していきますので、よろしくお願いします。


(9)

 都庁の前あたりに、どのビルよりも巨大なビルが建っていた。あんな高いビルが新宿にあるとは初めて知った。
「あの一際大きいのがバベルの塔?」
「そう。世界最高クラスのホテル。イグチ君、バベルの塔の話は知ってる?」
「なんとなくね」
「小説を朗読するような感じで詳しい物語を話してあげるね」とリリスが言って微笑んだ。遠くでショパンの奏でる弱々しいピアノが響いていた。
 
「ヨセフの妻マリア 一」
 
 大工のヨセフは今日もバベルの塔の建築にいそしんでいた。煉瓦を一つとり、一つ積み上げる。彼は今神聖な仕事に携わっている。バベルの塔は天に届くまで建てられるという。この塔が完成した暁には、人間が再びエデンの園に帰れるのではないか。そんなことを夢見ながら、人々は一生懸命に煉瓦を積み上げていた。
 ヨセフにはマリアという名前の妻がいた。マリアはヨセフたちの街の中でも一際献身的で、神に対する信仰心が強かった。マリアは毎日かかさず神に祈っていた。その祈り方もまた厳粛で、ひたむきで、彼女が祈っている間世界の動きは止まっているようだった。街にはマリアより美しい娘がたくさんいたが、マリアほど柔和で満ち足りた面立ちをしている娘はいなかった。おそらく彼女には常に天使の加護があったのだろう。
 ヨセフはマリアのことを強く愛していた。ただ、ヨセフはまだマリアと体の契りを結んだことがなかった。軽くマリアを抱いたり、唇を重ねることはあったが、ヨセフは一度もマリアのいる前で射精したことがなかった。
 もちろん手淫することも、遊女と寝ることも、街の人々の規則では厳粛に禁じられていた。それでも、妊娠を目的にせず性交する者や、射精する者は後をたたなかった。むしろ、射精したい者が多くてしょうがなかったからこそ、禁止する法が声だかに叫ばれたのだろう。大工仲間はみな妻と寝たり、自らの手で性欲を処理していたが、ヨセフは妻への愛を守るため、夢精しかしていなかった。
 何故ヨセフはマリアと性交できなかったのだろう。マリアは、神がそう定めたとヨセフに説明していた。信仰深いマリアを前にして、ヨセフはその言葉をまさしく神の啓示として信じるしかなかった。神はマリアが性交することを禁止してはいたが、ヨセフが他の女と寝るとか、手淫するとか、そうした細かいことまでは禁止していなかった。ただ、神の定めた規則として、妻の膣の中以外で精子を出すことは禁じられていたため、ヨセフは一切射精しないことにした。マリアに手や口で処理してもらうことさえヨセフは望まなかった。
 そのかわり、ヨセフは自分の仕事に精を出した。大工という仕事は、神から授かった神聖な天職である。まして、バベルの塔を作ることは彼にとって願ってもない仕事だった。
 ただ、マリアはバベルの塔を作ることに反対していた。神のいる天を目指して塔を建てることは、ひどく不遜な行為だと彼女は思っていた。ヨセフもまた、マリアが自分の仕事をよく思っていないことにうすうす気づいてはいた。ただ、それでもヨセフはマリアを愛し、マリアはヨセフを神の次に愛していた。

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